山中の賊は敗るに易く、心中の賊は破るに難し

「春眠暁を覚えず」の春とは3月下旬の頃らしいが、私の場合、5月の中旬を迎えた今も睡魔に克てないでいる。早い話、一年中暁を覚えずといった感じがしないでもない。それにしても朝起きるのは辛い。「もう起きなきゃ」と言う自分と、「もう少し、もう少し」と言う自分が布団の中で戦っている。

こんなちょっとした事でも「己に勝つ」というのは大変に難しいことだ。高いところから低いところへと流れる水に身を任せることは誰にでもできるが、反対に川の流れに逆らい、低いところから高いところへと船を進めることは大変な苦しみを伴う。誰にでもできることではない。疲れたからといって、漕ぐのを止めれば船はすぐにも下流へと流されてしまう。毎日毎日、一瞬一瞬、常に一心に漕ぎ続けなければならないのだが、この怠け心に打ち勝つことが実に難しい。

漕ぎ続けようとする自分が、もう一人の自分に打ち勝つように成りたいと思う。現実には、反対のことばかりをしてしまうが、思いだけはいつも一緒だ。

中国は明代に王陽明という偉い儒教の先生がおられた。文武にたけた先生は「山中の賊は敗るに易く、心中の賊は破るに難し」と言われた。山賊を打ち倒すことはそんなに難しいことではないが、自分の中に住む心の賊を打ち負かすことは難しいという意味だ。どんなにすばらしい人でも、常にこの心の中にいる「怠け心」という賊と戦わなければならないということなのだろう。

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桜梅桃李(おうばいとうり)

季節の巡りの早さを痛切に感じるのは自分が歳を重ねたせいなのだろうか。今年の桜の季節もあっという間に過ぎ去ってしまった。桜と言えば、なぜ桜の花の咲く頃は、強い風雨に見舞われることが多いのだろうか。せっかく開いた花びらも一夜にして散ってしまう。寂しくもあるが、散り際の鮮やかさに教えられる事も多い。

さて、我が恩師が生前最後のご講話会で、聴講者の女性から渡された花束を見ながら、「花の種類は違っていても、それぞれに精一杯咲いている。コスモスにはコスモスの、バラにはバラの美しさがある。人もまた自分に与えられた才を精一杯に咲かせたら良い」と語られたが、SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットしたのは、それから15年後の事だった。作詞をした槇原敬之さんは「そうさ僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と綴った。

「桜梅桃李」(おうばいとうり)。桜には桜の、梅には梅の、桃には桃の、李には李の良さがある。梅が桜を羨むことはないし、桃が李を疎ましく思うこともない。それぞれが、それぞれの特質を存分に生かして咲いている。それで良いのだ、という意味である。

相対の世界に生きる私達は、いつも他と比較することで自分の立ち位置を確認する。上下、遅速、優劣…しかし、その立ち位置は比べる対象が変わる毎に自分の心を騒がせ、心の軸はぶれて、つかの間の喜びを悲しみの淵に、ひと時の安心を不安の闇の中へと導いて行く。

だからこそ、私は私であることをしっかりと心に止めることが大切だ。槇原さんは詞の最後を「No.1にならなくてもいい。もともと特別なOnly 0ne」と締めくくった。まさに、私達は世界に ただ一つだけ咲く、私という名の一輪の華なのだ。

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