季節の巡りの早さを痛切に感じるのは自分が歳を重ねたせいなのだろうか。今年の桜の季節もあっという間に過ぎ去ってしまった。桜と言えば、なぜ桜の花の咲く頃は、強い風雨に見舞われることが多いのだろうか。せっかく開いた花びらも一夜にして散ってしまう。寂しくもあるが、散り際の鮮やかさに教えられる事も多い。
さて、我が恩師が生前最後のご講話会で、聴講者の女性から渡された花束を見ながら、「花の種類は違っていても、それぞれに精一杯咲いている。コスモスにはコスモスの、バラにはバラの美しさがある。人もまた自分に与えられた才を精一杯に咲かせたら良い」と語られたが、SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットしたのは、それから15年後の事だった。作詞をした槇原敬之さんは「そうさ僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と綴った。
「桜梅桃李」(おうばいとうり)。桜には桜の、梅には梅の、桃には桃の、李には李の良さがある。梅が桜を羨むことはないし、桃が李を疎ましく思うこともない。それぞれが、それぞれの特質を存分に生かして咲いている。それで良いのだ、という意味である。
相対の世界に生きる私達は、いつも他と比較することで自分の立ち位置を確認する。上下、遅速、優劣…しかし、その立ち位置は比べる対象が変わる毎に自分の心を騒がせ、心の軸はぶれて、つかの間の喜びを悲しみの淵に、ひと時の安心を不安の闇の中へと導いて行く。
だからこそ、私は私であることをしっかりと心に止めることが大切だ。槇原さんは詞の最後を「No.1にならなくてもいい。もともと特別なOnly 0ne」と締めくくった。まさに、私達は世界に ただ一つだけ咲く、私という名の一輪の華なのだ。
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