大道無門(だいどうむもん)

外国の人は日本人の宗教感覚を不思議に思う。12月25日、国民の大半があたかもキリスト教信仰者であるかのようにクリスマスを祝い、その数日後の大晦日には除夜の鐘の音を聞いて諸行の無常を感じ、仏教信者に早がわりする。そして、また一日明ければ三社参りにと晴着をめかしこみ、神社を参詣しては日本古来の神道に、いとも簡単に衣替えできるからだ。

こうした、日本人のいわば節操のなさは、異国人にとって不思議であると同時に、許せない一面でもあるようだ。しかし、優柔不断に見えるこの日本人の「雑種性」が素晴らしいのだと私は思う。異国の文化を吸収し、染まるのではなく同化させて独自の文化を創造発展させる日本人。度量広く清濁併せ飲むことができる日本人を私は誇りに思う。今、日本人が世界の大国としてその地位を不動のものとしている背景にも、こうした日本人特有の民族性があるのではないだろうか。

「大道無門」という。「大道に至るに門無し」ということだが、門が無いのではなく、すべてが真理の道に至る門、入口だということだ。この道に至るに、キリスト教を学ぶもいいし、仏教を学ぶもいい。 あるいは儒教、道教、神道、なんだっていい。 心理学、天文学、物理学からだって、その道を極めればその道に至ることができる。道は真理であるが故に普遍的であり、あらゆる存在を肯定し、包み入れ、同化して排斥しない。だから一宗一派の教義にとらわれず、信・不信に拘らず、全ての人を抱きかかえて真理なる道へと導いてくれる。

人は真理なる道へ近づけば、正しい目が開かれ、道理を解する力を得る。しかし、一方で慣習的行事が迷信だと分かり、取るに足らないものだと見えれば、道理を盾にそれらを排斥してしまうのもまた同じ人なのだ。道を究める事の難しさがそこにある。極めて驕らず、大道が無門である事を知って排斥するのではなく包含し、同化しょうという度量をもってこそ、真に真理の道に至ることができる。

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shigeto の紹介

若いときから学んだ孔子や老子や釈迦などが説いた教えを日常の生活に生かす方法をワークショップなどを開いて仲間と共に学んでいます。
カテゴリー: 四字熟語 タグ: パーマリンク

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