不惑…私にとってはなんと重い言葉だろうか。「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」と孔子様は言われた。ここから四十才のことを「不惑の年」と言うようになった。
私も今月でこの不惑の年を迎える。迷い惑ってばかりの自分に不惑を迎える資格などあろうはずもないが、年だけは平等に誰もが重ねていく。
不惑…考えれば考えるほど重く私の心を縛り付ける。いつものように「誕生日を境に気分を一新して」なんて思ったところで、何も変わらずに過ぎてしまうのが今までの自分だ。
しかし、それでも「不惑」の二字は重い。誕生日前から不惑に向けての助走を開始しなければ、このとてつもないハードルは越えられそうにもない。
今年は生誕百年ということで宮沢賢治ブームが沸き起こっている。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「よだかの星」など、童話とは言いながら哲学的な思索を要求されそうな作品が多い。法華経を信奉した彼は作家であり農学者であり、化学者であり同時に信仰心厚き仏教者でもあった。有名な「雨にも負けず風にも負けず・・・」の詩は、彼が無類の克己人であった事を感じさせる。
人を思いやる心篤き彼は、同時に己に対しては極めて厳しい人であったのではないだろうか。おそらく、人生を迷いに迷って生き、深い思索の中で自分自身を見つめ、強い信を確立した不惑の人であったろうと思う。「みんなにでくのぼーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」と彼はその詩を結んでいる。
不惑の年を迎えて、私もそんな人になれればと思う。もちろんほど遠いことは知りつつも…。
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なんと20年近く前に書いた文書を見つけた。あれから20年…未だに迷い続けている自分がいる。何の成長もしない自分との戦いの毎日は今も続いている。
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