時に仕事に終われ眠れぬ夜が続くと体調が悪くなる。めまいがしたり、吐き気がしたり、なんとなく気分が滅入ってしまうのもそんな時だ。
国語辞典で「気」を引くと空気、心、心の働き、自然の中で起こる様々なようす、生まれつきの性質などとある。どれも捕らえようがなくて、それでいて確実にあるもの
ばかりだ。気が重い。気が乗らない。気が短い。気を配る。気が付く。気が長…と、「気」がつく言葉は幾らでも出てくるが、なんとなく自分の心をどうするかで変わるもののような気もする。
コップの中に水が半分入っているのを「半分もある」と取るか、「半分しかない」ととるかで気持ちはずいぶん変わって来る。「半分もある」は、「よかった、ありがたい」という感謝、満足の状態。これはプラス思考だ。これに対し、「半分しかない」と受けとるのは「たったこれだけ」という、絶望、不満な状態で、マイナス思考だ。
人は得てして物事をマイナス思考で考えがちだ。「半分しかない」と受けとる否定的な物の考え方は肉体にまで影響を及ぼす。私達は、「〜だから出来ない」と自分自身に言い訳していることが多い。出来ない理由は簡単に出てくる。自分を庇うことは皆得意だからだ。そして自分には乗り越えられないという壁を作ってしまう。
蚤のことを知っているだろうか。蚤はあのちっちゃな体で大変なジャンプカを持っているらしい。ところが、瓶の中に入れて蓋をすると、はじめは瓶の上にぶつかり、底に叩き
つけられることを繰り返すが、そのうちにぶつからないでジャンプするようになる。これを繰り返していると、瓶の蓋を取ってやっても前のようにジャンプはしなくなるそうだ。そして、二度と瓶の外に飛び出す事はない。蚤だって、痛い思いはしたくないのだろう。
考えてみれば、私達もこの蚤と似たような事をやってはいないだろうか。何度かの失敗で「もう駄目だ。私には無理だ。出来るはずがない」と、自分自身に言い聞かせて壁を作ってしまう。人は限りない可能性を持っているはずなのに…。
私達は、この与えられた無限の可能性を自ら切り開いていくために、常に物事をプラス思考でとらえる訓練が必要なのかも知れない。「出来ない」ではなく、「できる」という確信をもって体当たりすることが必要なのだろう。昔から、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」と江戸時代後期、米沢藩主上杉鷹山の言葉にある。
思うに、この自分を信じるカの源泉となるものが「気」なのだと思う。
この気を常に充足させて毎日を送ることができれば、元気で前向きな人生を歩む事ができるのではないだろうか。大自然の中に充満するあらゆる物を生み育てる「宇宙の気」を自分の中に取り入れることができれば、気分もすっきり爽快になるのだろうが…。
そういえば、孟子様のお言葉に「我れ四十にして心動かず、善く浩然の気を養う。」とあるが、「浩然の気」もこの宇宙の気のことなのだろうか…。
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